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所得再分配の正義について ④

自助努力の精神なしに、地上的な成果を求める他力本願的考え方のみで、自己の試練を乗り越えたいと思うのは、そのように思っている人の生き方、考え方自体の方が間違っていると思います。

苦しいのはよく分かります。

その苦しみさえなければどれだけ幸せだろうか!と思うのも、あたりまえでしょう。

自らの試練の解決を、「お金にゆだねて、国家に依存する」としてしまうのは、「他の人に自分の責任を転嫁する」ということ変わらないのではないかと思います。

もはや自分の力ではどうしようもなくなった。

そういう時に、考えてもみなかったところから支援の手が差しのべられて、深い感謝の中で、他者の好意に救われることは素晴らしいことだと思います。


それをすべて国家の義務や国の責務として、救われる側の人々が、自らの権利として要求するにまで拡大解釈されてしまうと、大間違いになってくるのではないかと思います。

そう、頑張れるところまで頑張っている個人がいるから、隣人としても「何とか手助けしてあげたい」という気持ちが湧いてくるんですよね?

その気持ちが、大事なんですよ。

その愛を受け取った個人から、心から返されてくる感謝の気持ちが大事なんです。

それが無いところには、骨を抜き去った形だけが残るのだと思います。

換骨奪胎ということですね


他人のお金を回す仕事を主としている行政官僚さんにとっては、今述べた心の働きの部分への意識が希薄になるのかも知れません。

形だけの救済、形だけの支援がまかり通るうちに、お金の額だけの問題になって、財政破綻という国家の危機が現
実化するのだと思います。

行政官僚自身が、税金で養われている身であることも原因としては大きいのかな?と思います。


行政官僚と違って、事業家は、資金を単に使ってしまうのではなくて、資金を使って「資金そのものを創造」してきますよね。

本当は、行政官僚の知識の中にも同じ働きをする知恵はあるはずなんですが、市場経済の中で鍛えられていせいか、その知識の多くが“なまくら化”、机上の空論になってしまっているので、現実的な成果に結び付いてこないのではないかと思います。

良く切れる名刀も、真剣勝負で磨かれないところでは、錆びついてなまくら刀になりやすい。

民間の事業家は、もし真剣勝負に敗れたならば、倒産し失業の憂き目にあいますよね。

収入は断たれ、一家離散の憂き目にあう場合もありますよ。

また、巨額の負債を背負い、自分の人生を借金返済の担保として取られてしまうこともあります。
厳しいリスクと責任を背負って事業経営を行っているんです。

だから、真剣勝負になって、鋭く磨かれた真剣の切れ味が出てくるということですね。

そう、事業家たちは、市場における弱肉強食の中で、命をかけての切りあいの立ち回りを演じながら、その勝負を勝ちぬいて、自社の繁栄を生み出しているんです。

いくら愛にあふれた経営をしていても、財務に敗北すれば、事業は継続不能になる。

その厳しさが、彼らをして一流の領域に高めてゆくのだと思います。

机上の空論から、現実的な実践力へと変化させるのだと思います。

彼らは、自分たちの知識を、実践の中で磨きあげているのです。

彼ら事業家に1万円を渡せば、それが2万にも10万にもなって返ってきます。

それは、確実なんです。

確実でなければ、事業を継続することができないからです。

この基本条件を満たすことができないと、事業家として生き抜いてゆくことができない。

そういう厳しさがあるのです。


行政官僚に倒産はないのか?

言い方を変える場、親方日の丸のままで、ボケたままで延々といけるのだろうか?ということであります。

実は、あるんですよ。

彼らが失敗すれば、国が滅びるんです。

国家が敗北するとは、国が消滅してしまう。

そういうことだと思います。

そして、他国の支配下におかれたり、他国の管理下に置かれることさえあるかも知れません。

資産保全を目的に、軍隊が進駐してくることがあるかも知れないよ、と言っているのです。


日本は、先の大戦でアメリカに敗北したため、現在に至るまで、半主権のままにおかれています。

まるでアメリカが宗主国であるような依存状態を引きづって、そのまま自立できないままきてしまっているではありませんか。

そして、アメリカが弱体化する傾向がでてきたことを察知して、まるで手のひらを返すかのように中国へなびこうとしていたのではないでしょうか?

それが、尖閣諸島からの一連の事件が勃発して、やっと現実を認識し、保守の方向へと切り替えてきている。

今、そのような感じではないかと思います。


以上を踏まえて、次のように言えるのではないかと思います。


行政官僚の働きは、短期的に採算が取れず一見無駄遣い見えるような分野であっても資金を投じてゆける。

それは、税金が財源にあるからです。

予算がボトルネックになってうまく進めることができないような重要分野へ、未来開拓を企図して資金を流し、ボトルネック部門を打ち破ることで見事に開花させてゆく。

そのような手法で国家のかじを取る。

未来の種を効率的に引き寄せることに、大きな力を発揮できるのです。

なので、例えば、国防や教育のような領域でしっかりと頑張っていただかなければならないと思います。

彼らには、国を倒産させずに、繁栄・発展させてゆく責務があるんです。

それが、税金で生きているものの使命ではないかと思います。


それに対して事業家は、自分の食い扶持を自分の力で稼ぎ出すことに先ずは生きがいを求めます。

さらには、事業を大きくして、従業員やその家族を食べさせてゆくことに、さらに大きな生き甲斐を見出したりいたします。

そう、一国一城の主ということです。

事業を継続するために、採算が取れなければ事業自体を維持してゆくことができませんね。赤字になったり、借金返済が滞ったりしたら、それで一巻の終わりです。

先にも申し上げた通り、事業家の最大の特徴は、何にもないところからでも価値を創造してきて、利益を生み出し、それを拡大しつつ力強く推し進めてゆくことができることです。

予算なんかつかなくても、まったく関係なく、果敢に事業を興してくるんです。

知恵を資本に、ゼロからでも事業を創り出してくる。

そして、得られた利益の中から、官僚たちに効果的に働いてもらうべく、国家に対して高い税金を納めていということです。

官僚のような、不採算部門にある人々を養い、現実離れした将来への夢にかかわる知恵の働きを強め、国家の未来を創造してゆく。


このように、其々が各々の役割に応じた働きを、100%実践してゆくことで、本当に力強い国家が誕生してくるのです。


福祉の仕事は、ほぼ不採算部門であって、新しい価値が創造されるような業種ではないと思います。

しかしながら、医療の領域の中には、きちんと採算をとることができて事業として存続可能な分野が存在しています。

そう、ベンチャー的起業家による事業的展開をした方が、保健医療よりも似つかわしい分野があるんです。

それと共に、ほぼ持ち出しの負担のみがかかる福祉型医療領域も併存しているということですね。

ここは、収益事業としては成り立ちにくい分野です。


ここで一番の問題となるのは、収益事業的展開が期待されるところの医療産業部門に、福祉的考え方に基づいて公的資金を突っ込んで賄っていこうとしているところです。

また逆に、福祉的持ち出し型の救済領域に対して、厳しい採算性を問いかけて、不採算を理由に打ち切ってゆこうとしていることです。

もし、こういったことを継続してゆけば、公金は底をつき、医療保険は破たんし、必要な救済事業は消滅し、福祉や社会保障そのものの危機が現実化してくるということです。


そして、

「貧乏人は、そんな医療は高嶺の花というわけか! 金のないものは黙って静かに死んでゆけということか! 命の沙汰も金次第ということなんだな。何とも情けない世の中になったもんだ」

とか、

「採算、採算ばかりを問うのなら、採算がとれるような患者だけを選別しなければならなくなるだろう。金食い虫の重病患者なんかは、もうお断りしますというもんだ。それで良いのなら、どうぞ資金を打ち切ってください。責任はとれないよ」

とか、

いろいろな乱暴な意見が生じてくると思います。

そんな一方的な意見に負けることなく、言うべきこと主張するべきことを主張し、改善すべきことを果敢に変えてゆかなければなりません。


受けたくても受けることができない医療はあるんです。

それは、起業家や発明家が行なっている医療であって、それは稀少で開発費が莫大にかかるため、極めて高額医療になるんです。

そして、それを受けたいのなら、それに見合ったお金を用意しなければならないんです。

それは、正当なハードルでもあるんです。

もし、かれら資産家たちの献身によって、その開発が成功し、技術が普遍化し大衆化された暁には、救済のために日常の医療の中で実施されるまでに低価格化されるという流れがあるのです。

何よりも言っておきたいことは、「高額な医療が最良な技術、良質な医療であるとはいえない」ということです。
その着眼点は画期的でしょう。

ある対象部分には、劇的に改善する力ももっているでしょう。

もしかした、突破口を開いてゆくものかも知れません。

しかし、それはあくまでもベンチャーであって、冒険であり、ハイリスクであり、そして高額なものということなのです。


そのような高額医療を、

「お金がなくても人間として価値は同じだ。だから、平等に技術を受ける権利がある」

とのたまって、湯水のように税金をつぎ込んでいって保障しようとする。

あるいは、保証してもらおうとする。

それは行き過ぎた要求であり、過剰な社会的穂書府であり、社会コミュニティー破壊的な社会保障システムの実現となって、私たちの前に重大問題としてあらわれてきているのではないかと思います。


税金は公金です。

それによって救われる個人には、公的な価値が含まれなければ駄目だと思います。

私的な事故の保障につぎ込まれるいわれなんてないんだと思います。

公的に、救われる、あるいは救ってゆく“大義”というものがなければ、税金を使う正当性自体が立ってこないんです。

本来、病気を含む不慮の事故は、自分の責任の中で、出来得る限り事故の責任の中で対処してゆくことが筋でありますよね?

もし、その能力を超えて悲惨な状況が訪れた場合には、先ず家族・親族、さらには同じ地域に住んでいる地域自治体の互助組織の中で助け合ってゆくのが大切なのではないかと思います。


もはやこの日本においては、国による制度によってではなく、企業的・事業的成功者の個人資産の集積による騎士道精神に基づいた救済活動に頼まなければならない時代に入ったのではないかと思います。

彼らの騎士道精神が存分に働けるように、税制改革を含め、医療や福祉分野への参入障壁を打ち崩し、国民皆保険制度の解体、そして国家補償は最低限度の医療へとの縮小する。

ちょうど、自動車保険における自賠責保険と任意保険の関係のように…

それを果断に進めてゆかなければならないと思います。


今は、公的医療や公的福祉の行き過ぎた伸長によって、国家自体が破壊されようとしている。

その基にあるのが、所得再分配の大義です。

しかし、そこに正義は無いのです。


戦後の荒廃の中から国を立て直そうとする時代に、国家が中心となって社会保障を先導し、少しづつ充実させていったことには、それなりの正当性はあると思います。

日本のGDPが大きくなるにつれて、受けることができる福祉が充実できたのだと思います。

そして、今、ある意味において頂きにまで来てしまった。

その成功を、いったん破棄しなければならない時代に入っているといえるのだと思います。

もう一段の国家の発展をプロモートするためには、過去の成功の体系的廃棄をしなければならない時期に、とっくの昔に来ていただけなのだと思います。

バブルの時代から、こういったことはすでに指摘されてきたことであります。

ひょっとすると、今回の改革のチャンスが、日本にとって最後の審判になるかも知れません。


所得再分配を中心にして、いろいろつづってきましたが、今、本当に時代が変わろうとする時代に、果敢なる勇気を持ってチャレンジしなければならない時期に至っていると思います。

来年は、私にとっても、是非とも勝負の年にしたいと考えています。


長々とつづりましたが、これで本年も終わりです。

皆様、どうか、皆様にとっても、素晴らしい年を迎えられることを心より祈念させていただきます。

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Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

御愛好のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
1962年生まれの薬剤師です。

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