FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

本物の医療制度改革 ② 国家から個人への主役交代の時代の到来

前回は、国が主催する社会保障事業に、たかり根性の国民が群がってゆくことによって国家財政が崩壊しようとしている。

国が倒れようとしている。

そのようなことを述べました。


基本的に、会計というものはつじつまがあうもので、プラスメリットとマイナス負荷が釣り合ってきます。

だから、誰かが負担軽減のサービスを受けるならば、その負荷を負担する人が必ずいなければ成り立たない。

誰かが福祉に胡坐をかいて楽をしようものなら、それを誰かが背負わなければならない。

単に、そのようになっているだけなんですね。

先に述べた「所得再分配の正義について」では、

自己の責任範囲にある負荷を他人に背負わせることについて、正義はあるのか?」

という視点から書きました。

その結果として、同時代に負担できる人が不足して、基本的収支が成立しなくなってしまったならば、採択すべき方法は二つしかないのです。

ひとつは、未来の世代へ借金を飛ばしてしまうですね。

もうひとつは、過去の資産を食い潰してまかなってゆくかです。

まあいずれにしても、人の資産を食いつぶすことは間違いない。

未来の資産か過去の資産かということですね。


そして現在はどのような状況にあるかというと、

「千数百兆を越える過去の資産を増税によって何とか引き出して食い潰しつつ、不足する部分を巨額の国債として未来へ飛ばそうとしている」

こういうことになります。

ひどいですよね。

これが国民の幸福を願う政府の考えることか!

そう、言いたくなりますよね。


にもかかわらず、民主党政権は、子供手当と称したさらなるバラマキで国民の票や支持をお金で購入しようとしている。

そのような無茶苦茶な時代に私たちは生きている。

そういうことであります。

それをいち早く察知し、国民に訴えたのが幸福実現党です。

その意思は、今少し認められつつありますが、まだまだ大勢になってきていません。

国民が頭がとても良い官僚による「自分たちの失策隠し」にはぐらかされて、

「国家財政が危機に瀕しているなら、増税もやむを得ないだろう。自分たちの負債という大きなつけを自分の子孫に遺産として残したくはないからな」

という意見が、まだ大勢であるように思えるからですね。


それでは、社会保障などの救貧・老人救済政策。

それをどのようにすればよいのか?

いわゆる四苦というもののの扱い。

そう、生老病死の問題をいかに解決するのか?ということでもありますね。

それを真剣に考えてゆかなければならないのです。


高齢者医療や介護・福祉の問題を、単純に考えるならば、

「現役世代への負荷をさらにアップして、年金や健康保険料、所得税、消費税、さらに相続税…などをトータルとして個人への重税を課し、実質税率50%から70%あたりにまであげてゆかなければならない。

このような過大な徴税による解決法しか、今の政治家さんたちの発想の中には浮かばないというわけであります。

その結果、近未来において過大かつ充分なる社会保障サービスを期待している団塊の世代さんたちは、

「そういうことなら仕方がない。子孫に過大な負担を転嫁することなきように、現役世代に背負ってもらうほかないだろう」

なんて言っています。

しかし、普通の若者たちであれば、

「なんでそんな負担を背負わさればならないんだ。そんな社会には夢なんて抱けない。私たちは、老人のために働かされることになる気がする」

「それも、自分の親に対する責任放棄した人たちの分まで一部の人が背負って働き抜かなくてはならない。それはある意味で、国家の奴隷になることと同じだ」

「優秀であればあるほど、稼げば稼ぐほど国家への隷属度が拡大する。そんな過酷な未来を強いてくる国ならば、いっそのこと自由の新天地を求めて海外に出てしまおうか!」

と考える方が自然になると思われるからであります。

だいたい私有財産が認められず自分の努力が正当に評価されない国からは、ボートピープルになって亡命者が出るのが順当な流れです。

そうならないために、いかなる社会保障を考えればよいのか?

それについて考えてみたいと思います。

ここで、大事になってくることが、先の「所得再分配の正義について」で述べたところの視点です。

今の行政官僚は単にお金を消費することしかできない。

そう、お金がある所から無いところに移転するだけで、結果的に消費されて消え去ることしかできない。

そして、自分たちが権限をもって行うその移転方法について、

「あらゆる頭脳をフル回転して、金額に偏りが無いか、移転先に偏向が無いか、仮にそれがあったとしてもその言い訳(理由づけ)をすることができるか」

こんなことにすべての労力を注いでいるかのように映ります。

何度も繰り返しますが、今の行政官僚にお金を委託すれば、お金が不足しているところに回されて、ただ単に消費されて消えてゆく傾向にあるんです。

求めがあり不足するところにお金を回すことが社会の正義として、それを司る公僕として、公正な観点から分配できる知恵に対して行政官僚が誇りと職業的使命感を持っている。

そのようにしか見えないというわけであります。


官僚的知識においても、投入した金額以上の付加価値を生むところに“乗数効果”というものが期待されるわけでありますが、それが机上の空論化している。

彼らが作る資料を見ても、文書としては整っているのかもしれませんが、それは限りなく現実離れしている。

その現実離れした姿は、①の論考において、はっきりと例示できたと思います。

彼らにとっては、救済型の社会保障へ資金を投じることが、人という資源を回復するということで乗数効果はあるということになるのでしょうが、

普通に考えるのは、社会保障は限りなく持ち出しであって、単に消費されてそれで終わりになるものです。

だから”苦しい”から、できれば国家に肩代わりして欲しい。

そういうことではないでしょうか?

例えば、小さな傷を負って、その処置に整形外科的サービスを受けたとしても、「怪我をするするというマイナス状態から、何事もなかった状態へ復帰する」

そのために付加価値サービスを消費するというわけであって、基本的には「マイナス状態から日常に戻すために財貨が消えてゆく」というスキームにおかれているということを忘れてはならないということです。

老人介護も、高齢者医療も、もはや元の状態にすら復帰できない流れの中で、いかに苦痛と苦しみを軽減するかに再重点が置かれることになるんです。

だから、社会保障は基本的に持ち出し型、消費型にしかなり得ないということです。

苦しみが世を覆う中で、それを軽減することで経済成長が得られたように感じることはあるでしょう。

しかし、それはあくまでも消極的な意味における経済成長であって、本当に経済のパイ自体を拡大してゆく積極的な新事業・新産業にはなりにくいということは知っておかなければなりません。
(機械やロボットによる機械的労力軽減は、かなり大きな付加価値を生みますけれども…)

本来負担しなければならない個人にかかってくる負荷を肩代わりし、代弁し、弁済し、お金や付加価値はその対価として消え去ってしまう。

そういったものであるということでありますね。


では、極度に国家に依存して国家財政が崩壊の危機にあるならば、先ず考えられること、なさねばならないことは、「いったん個人に差し戻す」ということですよね?

そして、そのように差し戻された負荷を、個人の責任において背負い切れずにアップアップ状態で溺れかかる人をどのように救うのか?

どのような支援をしてゆくことが正当であると言えるのか?

それを、救う側に立っている人間として、個人の問題として考え直す。

そのように展開してゆくと思われるのですね。


だから、先ず強調しておかなければならないことは、

「社会保障を受ける人は、何らかの原因によってアップアップ状態で、本来個人で背負うべき負荷を自分では背負えなくなって苦しんでいる。そのような状態にあるから救済される対象とされるのだ」

「要は、自立した個人としては不十分な境涯にある可哀そうな人たち、愛を与えられるべき人々である。それは、有志ある人々の慈悲によって救われるべき対象である」

このことを明らかにしなければなりません。

要するに、

「救われる側の人々は、一個の自立した個人としては、何らかの形で不十分にしかない。今、一時的であっても、不慮の危機によってそのような状況に置かれている。人生の一局面としては、そのような危機に陥ることもあるだろう」

「彼らは、いわゆる半人前であって、だからこそ他人資本による救済の手を借りなければならない状況にある。欠けているところがあるゆえ、受給する正当性が出現するのである」

こういうわけであります。

このような正論を、先ずは受け入れ、受け止めなければならないのであります。


そういう事実を受け入れたうえで、さらに救済の手も考えなければならない。

それも、公務員である行政官僚を介さないような形に変えてゆかなければならない。

救済の現場から、国家の関与を極力排除してゆかなければならない。

このように考えてゆくことができるわけであります。


国家が関与しないならば、誰が救済の現場に立つのか。

それは、有志ある個人ということでありますし、篤志家の登場、ということでもあります。

あるいは、同じ地域に住んでいる隣近所の人々による心の通った助け合い、ということでもあります。

そう、救済活動は、「民間の慈善活動によって担われるべきである時代が到来した」ということなのであります。

今回はここまで。

もう少し続けます。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


非公開コメント

プロフィール

青の錬金術師

Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

御愛好のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
1962年生まれの薬剤師です。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。