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本物の医療制度改革 ③   新たな精神的支柱の必要性 新生日本への条件

前回、国家から個人への主役交代ということについて述べました。

日本では、まだ慈善活動やボランティア活動などが積極的な存在として活発化していないので、「国家から個人へ」というと、なんとなく合理的で冷淡な社会になってしまうような気がします。

個人に任すのみならば、人間なんてすぐに利己主義、自己中心主義へと走ってしまい、自分の成功にしか関心が無い人ばかりになって、他人に対して無関心な冷たい社会が展開するだけのように思われるからでありますね。

そうならないためには、「国家による調整機能を、強制力をもってしてもなさなければならない」

そういった流れの下に、今の大きな国家、ある意味において“国家社会主義”とも言えるような国家による介入が正当化されているのだと思います。

ただ、未来社会においては、個人の活躍と豊かな創造力の発揮が期待されているのです。

こうした個人の働きを阻害する最大の原因として、国家の存在が大くなり過ぎている。

必要以上の国家介入が、新たな価値の創造のための最大の阻害要因になっている。

いち早くこのことに皆が気がついて、その認識を改め、個人の創造力の価値を認め、個人が活躍できる体制へと変化することに意義を見出すようにならないと、日本は駄目になると思います。


国家が強力な強制力をもっても介入する必要があるのは、危機の時代なんです。

国民が秩序崩壊状態にあるとか、旧来主導してきた政治体制が崩壊してしまった時であるとか、経済恐慌が起きた時とか、そういった危機の状態にあるとき、国家による民間への強い介入が是とされるのです。


敗戦後、日本の国は焦土と化しました。

産業も壊滅状態。

物資も枯渇状態。

若い労働力は戦地へと奪われ、農業の生産性さえ底辺状態にありました。

すべてが失われ、すべてがいったん空白状態におかれた。

国家総力戦における”勝利”という目標が失われ、膨大な敗戦処理の現実のみが目の前に提示されてきた。

そこにアメリカ軍が進駐してきて、軍司政府による占領政策が始まったのです。


このような状態で、民間に民間を救うような救済活動を期待するなんてことは、とてもではないが無理な相談でありますよね。

国家総動員によって、優秀な人材はすべて軍隊へ投入され、戦争にすべての資源、お金が注ぎ込まれた結果としてさえ、日本は敗北に至ったわけであるからであります。

「欲しがりません、勝つまでは」

ということで、自分たちの実力以上の力を出し切って、敗北したということであります。


戦勝国アメリカは、その占領政策を打ち出すにあたって、日本の強さがどこにあったのかを徹底的に研究しました。

そして、その強さが、天皇制と、その大元にある日本の神々への信仰、つまり、明治維新を主導し、近代日本を創りあげる求心力となった日本神道にその根本的な力を見出したのです。

日本創生以来の神々への信仰心の下に、

「自らの命をも顧みず、国民が結集して強力かつ誇り高い国家を創っていた」

その姿を目の当たりにしたのです。

彼らから見たら、

「個人の権利と、それに付随する個人の自由権を侵害していても、国家のために命を投げ出してくるのは野蛮である」

「個人の幸福を犠牲にしても、国家のために尽くすなんて馬鹿げている」

そのように見えたのかも知れません。

彼らから見たら、そのような非人権的な国家を主導しているのが、天皇による独裁政治であるかおように見えたのかも知れませんが、それは余りにも日本への理解不足にあると言わざるを得ないでしょう。

彼らは、その国体を解体し、二度とアメリカに対して牙をむくことなのないように根本から変貌させることを企図いたしました。

それは、神州日本としての誇りをも打ち砕き、戦前の日本人は野蛮な植民主義に凝り固まった悪逆非道の悪人であるかのように教育する流れへと連なって行きました。

それは、国民の信仰に支えられて国を発展させてきた神道に対する日本国民の信仰心の乖離に付け込んでのことだったのかも知れません。

それに加えて、GHQの中において占領政策を策定し主導する知識層の中に、アメリカの中にもあったリベラル社会主義者勢力が混じりこんできて、自分たちが本国で阻まれた社会主義思想的政策を、場所を変えて、敗戦によって支配下にはいったこの日本で実現しようと志した者たちがいたということです。

先ずは、天皇の人間宣言です。

天皇陛下は神官の最高位にある方で、日本国の建国から連綿と続いてきた万世一系の家系ということで、日本の国体の象徴を背負った一族という存在でありました。

天皇は、キリスト教文化圏におけるヨハネ・パウロの如く、いわゆる“教皇”あるいは“法王”に当たる存在です。

日本の国民の信仰形態を、地上世界に表現する範を示す神主的存在にあたります。

天皇自身が神となるところまでにゆくと、少々ゆき過ぎた面があったかと思うのですが、国民の信仰の象徴として、国民がその模範として崇拝することは決して間違いではないと思います。

天皇陛下のご真影に敬意を表することは、成人に強要されたものは除外するにしても、それがすべて人権侵害であるなどということは、とんでもない誤解だと思います。

日本神道を主催しているのは、天之御中主命を筆頭に天照大神の下に集う高天原の神々であって、その神々から権威を付与されたのが、代々の天皇家の方々であったはずです。

日本国の主催神から権威を与えられているがゆえに天皇は尊く、尊厳をもっている存在である。

そういうことであったはずです。


この国体を解体するということを、アメリカは占領政策の一環として断行したということなんですね。

さらに、戦勝国が敗戦国を裁判で裁くという暴挙を、アメリカはやりました。

戦争なんて、お互いの国あり方や考え方、現実政策などがぶつかって、もはや話し合いで解決がつかなくなった時に、力で解決しようとして起きてくる、いわば決闘・死闘の類であるはずなのに、その勝利者が、力で抑え込んだその敗者を、自らの考えに則って法廷で裁くなんてことはあり得ないことではないでしょうか?

国家間の戦争において、

「一方的にすべての大義が勝者にあり、もう一方は邪悪に染まった完全悪の帝国である」

なんてことは、あり得るはずがないのです。

為政者が悪魔にのっとられない限り、どちらの側にあっても、正当なところもあれば自国の都合や独善的な部分がある、というのが普通です。

日本をして、ドイツやイタリアなどのファシズムという悪魔の思想にのっとられた国と同列に並べるために、わざわざ戦争犯罪を裁こうとした。

それも、アメリカが正義の戦いを行ったという大義をうち立てることができるまでに…


「人類の頭に原爆を炸裂させた」

「日本の大都市を絨毯爆撃で、民間人に対してホロコーストを行った」

という実績に対して、その正当性を打ちたるところにまで持ってゆかねばならない、と考えたということでありますね。

ホロコーストを実施して局地的に民族浄化の一歩手前までやってしまった国の側に正義を打ち立てることしなければならなかった。

そのためにこそ、日本の罪状を確立しようとしたという訳であります。

戦争は外交の延長線上にあるのであって、力で決した後は、もはや勝敗はついてしまっているのだから、勝った側にあってもそれなりの自制心を働かさないと駄目なんです。

戦争に勝利したことで、相手国の国体変更にまで手を染めることは、決して許されない行為です。


宗教は、一つの民族を創造する根本になっている力です。

固有民族を形成する基いとなる根本的な力です。

一民族一宗教というのが普遍的な真理であって、その国を主導する宗教を解体するということは、その民族を強制的に解体することと同じことになるんです。

そう、日本民族は、滅び去る寸前にまで追い込まれたということであります。


国民の側にあっては、その戦争を主導していた国家神道への信仰が揺らぎました。

それとともに、GHQによってその価値体系が思想的に崩壊させられてゆきました。

公職追放によって、それまでの国家の価値体系を支えてきた人材・人物が、日本の中心からことごとく追放されました。

それも、犯罪人を訴追するかのごとく…

重大な犯罪の結果、国民を不幸にした責任を取らせるかのごとく…


学校の教科書はGHQの方針に沿って黒塗りで塗りつぶすことを強要され、幼い子供たちにとってそれは深いトラウマとして刻まれることになりました。

日本の国を弱体化するために財閥は解体され、富農地主も強制的に消し去られてゆきました。

フロンティア精神でもって荒野を開拓してゆくことがアメリカ精神なのでしょうが、彼らが開拓したつもりの日本やアジア諸国は、彼らが思うような未開の荒野なんかでは全然なくて、何千年もの伝統と、深い深い文化をもった東洋的文明圏であったということなんです。

彼らが解体した日本の文化の中にこそ、アメリカに欠けていた霊的深さということがあったのですね。

例えば、氏子制と長子相続、いわゆる家系血統に基づいた家制度などは、”女性の人権抑圧的”という浅薄な思想に基づいて、見事に消されてしまいました。

それは、単なる男女一代のつながりだけの核家族へと解体されてゆきました。

その結果、晩婚化から少子化、そして、離婚率の増加という危機が現実化し、次世代を支える人口の急激な減少がもたらされました。

そして、家庭の崩壊、国家の衰退へと向かわせているようであります。

さらに、男女の同権思想は、男女の性差さえ認めないジェンダーフリーの思想となり果てて、個人としての人間性の崩壊にまで至る道へと誘おうとしているかに見えます。


信仰の否定による求心力の崩壊。

それに基づく価値観の崩壊。

人的秩序の崩壊。

地域自治社会の崩壊

家庭の崩壊。

子孫の消失

そのような亡国の流れが続いているということであります。


今、経済的には一等国として復興するところまでは来たのですが、精神的にはもう一段の飛躍が必要とされている。

それができなければ、日本の未来は消えてしまう。

そのような位置に立っているということでありますね。


終戦に伴う国土荒廃というどん底状態から這い上がるには、国家主導の政治体制の維持が避けられなかったと思います。

先ずは、産業を再興させ、国の繁栄と国富の増大を導こう!

国民所得を増大させ、豊かになろう!

そのためには、少々個人の自由を犠牲にした全体主義的、国家社会主義的になるかも知れないけれども、国家主導型の護送船団方式で、先ずは経済的に日本の再興・復興を目指そう。

このような考えで進めてきたのが、55年体制であったんだと思います。

そして、それはすでに前世紀末において目標を達成し、また制度疲労も引き起こし、新たな国家ビジョンに基づいた新しい体制への大転換が求められていた。

1980年代後半に始まるバブル全盛期においては、国民総生産においてアメリカをキャッチアップし、さらにそれを抜き去り世界一の経済大国になることがもう目前にまで迫ってきていた。

そういう時代において、

「日本は世界国家となり、世界に対する責任を果たすこと求められた」

という訳でありますが、それを拒否し、自らモラトリアムの世界へと埋没し、さらに先なる道へと突き進むことを拒否してしまった。

そういうことでありますね。

ゆえにバブルは崩壊した。

という流れであったと思います。

失われた10年ということでもありますね。


その先にあった道とは、今まで目をふさいできた“国防”ということを真剣に考え、主権国家として”軍事的防衛的をも自らの意思によって統御してゆく勇気を持つ。

そのために、憲法改正を含む国家として当たり前の姿に脱皮してゆくこと。

そう、アメリカの半占領状態にある属国としての地位から、アメリカと肩を並べる強力なタッグパートナーとして、世界の平和とさらなる繁栄・発展に対してきちんと責任を果たせる一等国となってゆくこと。

そして、この地球全体の主導国として、西洋と東洋を融合した新しい文明を興してゆく。

そういった道を拒絶してしまったということであるんですね。


アメリカが日本に強く迫ってきた日本の構造改革にあっては、彼らの言い分の中にもかなりの正当性があって、

日本が幼児性のままに

「内政干渉だ! なんでアメリカの言いなりにならなければならないのか! アメリカの強圧外交だ」

なんていって被害妄想に陥っていたのではなかったか?と思いますね。

今の中国を見て、

「あなた、そこが間違っているから、その部分を改めてもらわないとお付き合いできないよ」

と言ってるのに、

「内政干渉だ。自分たちの国のことだから自分たちの主義で押し通す」

という態度が見え隠れする中国に、もう辟易としていますよね。

アメリカから見たら、当時の日本がそのように映っていたということに、少しは思いを馳せていただきたいと思います。


国民が地球の中でも裕福な領域にまで発展してきて、個人や起業家の中に新たな資産家が生まれてきて、その個人資産を活用しての救済活動が果たせるまでに国力が発展してきたのなら、国家はいち早くそのフィールドから退場し、民間に委ねるようにしなければならないと思うのです。

民間ができないから、民間ができる状態に無いから、単に国家が肩代わりしていただけであって、国家が最優先されることに大義なんてあるはずがないんです。

国民が豊かでなかったら、社会保証なんて充実するはずはないですね。

富を創出する農業や漁業、工業やサービス業などの産業が、新たな価値を生み出して富を稼いでくる状態に無いならば、どうやって社会保障、社会的救済を実現できるというのでしょうか?

国民を枯渇させるまで税を吸い上げて、民間がどれだけ疲弊しようとも、国家が肩代わりして代行することに最大に意味づけを見出している。

そこには、もう何の意味もないということなんです。


国家が介入・介在するということにおいては、いわゆる貧乏における再分配という基本原理が働いているんです。

貧乏であるから国家が介在して再分配する必要がある。

だから、国家の介入を続けるままにあっては、永遠に豊かになれない。

そうであるから、社会主義体制の国は、いつまでたっても最終的に豊かになれないのです。

そういうことであります。


だから、救済の現場も、もう国家から個人へ、いち早く主役交代がなされなければならない。

救済の主役から国家は退場し、個人やその資産を結集させた新しい民間勢力が、新たな主役として登場してこなければならない時期に来ている。

そういうことなんだと思っています。


そのためにこそ、新しい日本を主導する精神的支柱が打ち立てられなけばならない。

世界国家日本をプロモートする新しい信仰が求められている。


そう、地球新世紀における大転換の時代を、今の私たち日本人は生きているのです。

ちょっとタイトルと乖離してしまったかも知れませんが、医療制度改革の前置きとしておさえておきたかったことであります。
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青の錬金術師

Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

御愛好のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
1962年生まれの薬剤師です。

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