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お金をかければ、良い医療が開発できるのか?

今読んでいる書籍の関係もあって、ここで、

「資金力があれば、医薬品開発はできるのか?」という話をしてみたいと思います。

ここで扱うテーマは、

「良い医療は、お金で買えるのか?」

ということでありますし、

「良い医療は、高額医療のことを言うのか?」

ということでもあります。

「高額な医療は、すべてが良い医療と言えるのか?」

「お金がなければ、最良の医療は受けられないのか?」

「お金さえあれば、良い医療が手に入るのか?」

という質問に対する答えでもあると思います。


結論は単純であります。

絶対に“ノー”ということですよ!

違いますでしょうか?

それは、「心がかよった、人に優しい、人として温かい、ぬくもりのある」などという感性的な言葉を通り越して、もっとリアルに先端医療を想定しての質問への答えであることはお断りしておきたいと思います。

”優しい医療”や”暖かい医療”という抽象的なものを超えて、「お金とは対価性を持たない最先端医療がある」ということですね。


お金が無ければ受けられない医療は、現実的にはあります。

それは、高価な医薬品や高価な医療機械を使った医療であります。

高価な医療資源を使った医療においては、お金を支払わなければ、それを使用することができません。

自分が無ければ、誰かほかの人に代わりに負担してもらわないと、それを使った治療をしてもうことはできません。

そういった意味において、近代医療の恩恵を享受するには、ある程度の資金力は必要であるし、相互扶助体制も必要といえるでしょう。


今までの高度化した技術の蓄積を生かすためにも、ある程度のお金を支払った医療体制を整えてもらわなければならない。

さもなければ、その継続的治療が不可能になるということはあるでしょう。

そのようには言えるかと思います。


新技術開発においては、資金の有無が律速段階になる場合とは、次のような場合だと思われます。

それは、

「すでに種や基となる技術が解明されていて、後は具体的に応用展開してゆくだけ。その際に必要とされるのが、開発にかかるお金であったり、治療行為そのものに要求されるお金である」

そのような段階にある技術、ということですよね?


例えば、抗生物質などの作用機序がすでに解明されていて、その働きをする化合物の基本骨格までが明らかになっており、あとは実際に有益な薬効を示しかつ副作用が限りなく軽微な化合物を探索するのみ。

様々に構造変化させた化合物を合成し、その生物活性をいち早くスクリーニングする。

そのような段階にまで至っておれば、企業の持っている資本力が最大にものを言うだろう、ということになりますね。

だから、大企業であればあるほど有利であって、グローバル企業のような巨大企業であって全世界に研究開発拠点を持っているような企業であればあるほど、効果的に良い薬を市場に送り込むことができますよね。

また、治療法の例で言えば、

例えば、カテーテルを用いたステント留置術を施術することができるかどうかは、

「そのために必要な機材、材料、スタッフ、熟達医師、入院施設などを配置できるかどうか」

が鍵となってくるのであり、これもお金の問題であるということはできると思います。


薬だけではなく、このような治療法も含めての機材や材料においても、さらなる改良は可能でありますが、これも先の抗生物質開発と同列であって、すでに確立が終わった技術の普及に関するボトルネックの話であるということから、すべてお金の問題になるという訳でありますよね。


こういった視点から考えるならば、

「良い医療、最新の医療を受けるためには、絶対にお金が必要である」

「良い医療は、お金で買うことができるのだ」

「温かい医療、心の通った医療というものすら、設備と人材にお金をかければ得られるということだろう? だから、お金の問題なのだ!」

このように言うことができるという訳であります。


しかし、いままでの例から得られる結論は、

「現代の治療法が最先端を行っていて、もはやこれ以上良い医療は出てこない」

という前提があっての話になるんですよね?

すなわち、

「もう既に、あらゆる医療は開発され研究され尽くして、ほぼ未知の領域は無くなってきている」

「これからは、今まで開発された治療法や医療技術を、いかにして平等に分配してゆくか、いかにして効率的に人体適用としてゆくか? 以下に、拡大再生産してゆくか? それに力を注ぐ以外にないだろう」

「そういった、実用化、大衆化の過程においても、企業的に成功する道はいくらでも存在する。今後は、その中においてのみ、企業的成功を目指すべきである」

このような意見もあろうかと思いますが、それが間違っているわけではありません。

ただし、そのように思っている主流の人たちは、

「今現在の最先端の科学技術は、すでに人類の最先端に到達している」

「人間自信を、人間が科学技術を用いることによって、生殖以外の方法で生み出すにまで至っっているのだ」

「分化・固定された細胞に対して、バイオ技術をもって人間が手を入れることにより、再び万能細胞へと変貌させるこtができる。それを用いた再生医療がこれから現実化してくるがゆえに、もはや人間の臓器さえ新しいものと交換可能になることだろう」

「以上のことは、すでに神の領域に入ったということの証明でもある」

と思っている、慢心しきった現代の唯物論的科学医療技術者ぐらいだろうと思います。


本物の医師や医療者たちは、自分たちの限界をきちんと認識していて、もっともっと謙虚のはずですから…?

そうですよね?


今の薬学的研究者の主流にある見解においては、

「低分子化合物に由来する新規化学物質は、もう出てこないだろう」

と思われているようです。

それは、私もかなり前からそう思っています。

それは、以下のような考えに基づいています。

低分子の化合物の医薬への応用については、可能な化合物はすでにほぼ出尽くしており、新しい革命的新薬は出てこないだろう。

その証拠に、新しく医薬品を開発するのに、非常に長期の期間と莫大な開発費を要するようになってしまっている。

また、新たに見出した薬といっても、有用性を判定するにあたって、それほど劇的な効果はみられなくなってしまっている。

そう、プラシボとの効果上の優位差を、統計的な計算を用いてやっと判別できる程度にしか差が認められなくなっている。

この事実に関して、

「生命関連商品であるから、臨床試験をはじめとして、スクリーニングと安全性研究に、非常に慎重な検討が重ねられるから巨額の資金を、開発期間が必要となっているのだ」

というもっともらしい理由がつけられてりしていますが、それを遥かに超えてしまって、「種がもはや尽きてしまったのだ」という分かりやすい理由を採択すべきであると私は思っていますね。


一見、こういった意見にも傲慢な感じがつきまといますね。

そう、もう種が無いほど開発し尽くしたという点において「本当にそうなのか?」ということがあるとは思いますが、もし「種が尽きている」ということが真実であったならば、医療業界は大変な時代を迎えることになると思います。

まずは、謙虚に受け止めなければならない大問題であると言えるではないでしょうか?


“新しい種が無い”というのは、単に科学の限界を勝手に決めつけているだけの傲慢な考え方なのでしょうか?

それとも、本当に、「低分子化学物質に由来する新薬は開発され尽くしていて、もはや薬となるような新しい合成化合物を見いだすことはできない」

のでしょうか?

それについては、はっきりと断言することは難しいです。

そうかも知れないし、そうでないかも知れない。

ただ、ひとつだけ断定できるのは、

「“現在の開発方法”や“現在の主流である考え方”に基づいての新規低分子化合物は、もはや出てこないだろう」

ということであります。

それは、確実です。

そして、このような結論に基づくならば、今後の課題として存在するのは、

「いかにして既存の技術を分配するのか?」

こういう話に尽きてしまうように思われます。

また、それを効率的に行うことができるのは、単にお金の問題でしかないのだから、それをどう解決するのかが喫緊の問題である。

また、国際的にも南北問題として出現しているその凸凹を、いかにして均質化してゆけば良いのか?

そういった話になってしまうということが、容易に推定できると思います。

これでは、国際共産主義へ向かうしかない。

地球社会主義の時代へ向かうしかない。

そのような結論がとなえられるのだろう、と推定されるというわけです。


しかし、人類は、新しい展開を模索しています。

今までの医薬品開発の主流であったのは、確かに“生価値習慣病関連の新規医薬品”のブロックバスター開発や、新しい医療機器・医療機材を用いた新規治療技術でありました。

しかし、その成功に止まることなく、さらに発展的に、まだ治療法が確立されていない医療ニーズが存在する分野へと、新しいフロンティアを求めてゆこうとしている…。


そのことについて、既刊書の、「医薬品メーカー勝ち残りの競争戦略」(日本経済新聞社:2010)の中で、伊藤邦雄氏は、

「生活習慣病領域からアンメット・メディカルニーズ領域へ」

「低分子薬からバイオ医薬へ」

という観点から、一つの成功モデルを論説し、医薬品業界の未来へ向けての可能性を提言されています。


アンメット・メディカルニーズとは、

「既存の医薬品ではいまだに満たされていない患者の医療ニーズ」

のことであり、

バイオ医薬品とは、

「化学的にはペプチドや糖鎖などの範疇にある機能性高分子化合物のことで、主に細菌などの生物体によって生合成される生理活性物質医薬品」

のことでありましょう。


既存の医薬品では満たされない具体的な医療ニーズとしては、真っ先に、“がん領域”があげられるでしょう。

さらに、“精神神経性疾患”があります。

また、“免疫系疾患”なども代表的なものです。


それらに対する画期的なアプローチ、それも、低分子化合物によるのではなく、抗体医薬などのペプチド性の医薬品による治療法の開発。

これが、“勝ち残りの競争戦略”である。

そのように思われているようであります。

しかし、果たしてそれがそうであるのか、そうではないのか?

少なくとも、この方向からうかがえることは、「開発された治療法は、比較的高価なものになるだろう」ということであります。

また、

「投与一回目には劇的改善効果を生むでありましょうが、その効果の維持には継続治療が不可欠であり、また治療耐性も必ず出現してくる」

こういった特性もあろうかと思います。

総じて、それらは、最初に提示したところの「お金で買える良い医療」の代表選手になるだろうと思われるのです。

アンメット・ニーズは、対象患者は少なくて疾患は多岐に渡ることになるのですから、どうしても高額医療になりますよね?

それは、多品種少量品目の開発は、高額になる宿命を持っているからにほかなりませんよね。


私の考え方を述べるならば、こうです!

「伊藤さんの提示されるこの考えであっても、既存の開発法の枠を破壊するにまで至っていない」

「従来通りの考え方の延長線上にあるものであって、それほどイノベーショナルなものではないと思う」

「本当のイノベーションは、大勢的考えに染まっている人々が、”うっそー!?”と言ってしまうぐらい既成型の価値破壊の先にこそ存在するものだ」

「だから、皆さんが”信じられない”ということを信じてくださる中に、その信仰の下に、まさに”信じられない”ぐらいの驚くべき治療が導き出されてくる」

というわけであります。

アンメット・ニーズの真骨頂は、「病気が治ること」のはずですよね?

言いかえれば、

「薬がいらなくなる。薬を飲まなくてもよくなる」ということのはずですよね。

この命題は、

「今のままの医療産業であっては、業界利益の拡大と対立する方向にある」

ということでもありますね。


そうですよ、最良の医療とは、「より少ない治療で、患者は医療ニーズから解放される」ということのはずですよね!

「継続効果で症状が有意に軽快する」んではなくて、「治癒してしまう」「治ってしまう」

ということのはずですよね?

違いますでしょうか?

だから、

「良い医療とは、高額な医療という訳ではない」

「良い医療が、お金で買えるとは言えない」

ということが、力説できるのではないかと思うのであります。


「真なる新機軸は、目に見えない価値の中にある」

「それこそが、未来への生き筋である


という多大なる含みをもって、ひとまずの結びにしておきたいと思います。

さらに続けます。
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青の錬金術師

Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

御愛好のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
1962年生まれの薬剤師です。

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