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バカと天才は紙一重 ①

今朝気がついたことです。

例えば、アインシュタインのような天才と称される人たちは、子供の時には「手に余る」とって学校の先生がさじを投げるぐらい“成績不良学生”であった場合があります。

そう、天才と呼ばれる人たちは、時に学校成績ではどうしようもなく駄目な場合があり、落第したり、先生からは最低な評価を受けたり、まず学業優秀者即天才というわけではないんですね。

なぜなんだろう?と考えた時に、

「そうか、天才をはかるモノサシが、この地上には無いんだ!」

ということに気がつきました。

天才が持っている才能が、世間一般で通用するモノサシで測定可能な才能であったならば、天才になんかなれないですよね?

まあ、当たり前の話です。

今、私は、当たり前の話にやっと気がついたという話をしているわけでありますね。


学校の試験では、物事の処理能力や頭の回転の速さといった“頭脳的優秀性”を計測することが可能です。

ただし、この測定方法によっては、希少なる天才性は計測できない。

そもそも、測定できない才能を開花させてくるところが、天才が天才である所以なのでしょうね?

だから、既存の常識の固まりのような先生には、手に余るところがある。


なぜ、手に余ってしまうのか?

学校や塾の試験においては、

「一定の時間内に、いかに正確に高得点を叩き出せるか?」

「如何にミスを少なく、迅速かつ効率的に正解を獲得できるか?」

「奇抜な独創ではなく、決められた正解を正しく解答欄に書くことができるか?」

こういったレベルの才能を点数化するための問題が、それを専門とする試験官によって作成されるのです。

この問題に対する性能の差によって、例えば、東大のなどの難関校に合格する学生が判別されてくる、という訳であります。

だから、受験産業が現代のように発達していなかった時代には、勉強の仕方においても、それほど個人に差が無かったでありましょうから、

ここで才能をバイクに例えるとするならば、もともと持っているものが750CCのバイクとしての性能である者と、原付ぐらいの性能しか持たない者が競争したら、それ相応の結果が明らかかつ順当に現れてくるになると思われます。

昔には、このような傾向が顕著で、かつ判別し安い時代があったという訳であります。

排気量750CCでロードを走る訳ですから、本気になれば出せる出力が違います。

その走りには余裕があって、その余裕の部分をもって自らの天才性を磨くことに充てることができていたんだということでしょう?

しかし、受験テクニック全盛の今では、そうは言ってはいられなくなっているのではないかと思います。

良く言われることですが、「東大に入るべき人材が東大に入れなくなっている」みたいなことになっているそうですが、今述べてきたことから、その理由が明らかになると思います。

それは、

「解法テクニックを身に付けた受験秀才たちがいて、かつては天才性、あるいは創造性をはかる目的で出題されていた問題を、既存の手続きとして、記憶した手順どおりに、如何に迅速に処理できるか、というレベルにまで引き落してしまった」

そのような傾向が出てきたということですね。

さらに、こういった一般的時代の傾向にあって、受験生はその中においても当落を確定されなければならないわけですから、それを判定する側にあっても、いかにして点差が開くようにすべきであるか、そういったところに様々な工夫がなされる訳であります。

コースを複雑に入り組ませ、あるいは量的距離を大きく設定したり、様々な手段が講じられるのでしょう?

その結果、原付では無理であるとは思いますが、125CCぐらいの排気量ならば、750CCのバイクを抜き去ることができるライダーたちが出現してきたというわけであります。

小賢いテクニックによって、

試験問題を事務処理のごとく、こなしてしまうことによって…

いくら排気量で圧倒していたとしても、これではうかうかしていられないということで、ナナハン・ライダーたちも、必死に受験テクニックに磨きをかけるようになったのです。

もともと、コーナリングをクルクル攻め、険しく荒れた山道をよじ登ってゆくためにある巨大な排気量では無かったはずなのですが、そういうコースが設定されたのだから仕方がありません。

走る側としては、粛々と対応するのみであります。

颯爽としたロードランナーとしての誇りを捨て去り、様々なテクニックが渦巻く世界へと埋没する以外に、賢明な選択肢はないでしょう?

その結果が、

「本来東大へ入るべき人材でないものが東大へ入ってくるようになった」

という現象として出現しているだと思います。

そして、

「既知の問題であれば、すぐに解答をはじき出せる人材を量産するに至ったが、答えの無い問題に解答を見つけ出してくるような人材が、この日本に枯渇するに至ってしまった」


このよう至ったと考えることができるのです。


続く
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青の錬金術師

Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

御愛好のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
1962年生まれの薬剤師です。

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