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Ⅱ、アルバート・アインシュタイン

アインシュタインは、自らが原子爆弾の開発にかかわり、その大きな推進力となったことに大変な責任を感jじ、その後の人生を、核平和利用と科学技術の人類への平和的貢献についての思想的象徴として大いに力を尽くされました。

彼の理論から導かれるところの、
「物質質量をすべてエネルギーとして転換・開放できる」
という方程式は、エネルギー開発を志すものにとっては奇跡のような発見でもありました。

しかしながら、それはまた、かつてのダイナマイトに匹敵する社会的衝撃力があったということもありましょう。
それはまさに現実のものとして、その技術の軍事的応用によって原子爆弾が生み出されたのでありました。

悲しいことではありますが、それは私たち日本人に対して最初に使用され、まさに”一瞬にして”十数万人もの同朋が死に絶えることになりました。

当時、広島・長崎に住んでいた数多くの人が焼け焦げ、多くの建造物が破壊され、凄まじい悲しみと不幸が導かれました。
さらに、その後の放射線被曝により、大きな悲劇が連鎖してゆくことになりました。

このような大量破壊兵器の開発を後押ししたものは、いったいなんなんでしょうか?

「戦争を終わらせるため」という美名の下、その投下の決定がなされたのは、本当に正しいことであったのでしょうか?

そこには、人間の悪意や残酷さだけが支配していたと言えるのでしょうか?


先ずは、「ドイツに先んじられては世界が破滅する」という当時の為政者が持った恐怖心があったでしょう。

また、力による支配、軍事力をもってしての決着、国権の軍事的侵略や権利侵害には絶対に屈服してはならないという判断もあったでしょう。

しかし、恐怖はさらに恐怖を拡大させ、排他的な思いは他国との壁をいっそう厚く強固なものとし、「そこに生じた恐怖心を払拭するために、さらに大きな恐怖が導かれてゆく」という悪循環に陥ってしまったことは事実でありましょう。

ほぼ降伏が確定していた日本人に対して、

「戦争の泥沼化を避け、本土決戦による米国人の犠牲を回避するため」

という名目で、

あるいは、

「新兵器の貴重な人体実験の機会としたい」

という科学的関心もあったかもしれませんが、原爆投下への道が開かれてゆきました。


また、日本文明が欧米諸国から正確に理解されておらず、日本の天皇制がドイツやイタリアにあったファシズム的独裁政治と同じようなものであると誤解されたこともあったでしょう。

さらに、少しは日本を理解している人々の中においても、日本人の偏狭な民族主義が、さらなる戦争継続を選択し、日本本土を最後の砦とし国民全員が不毛な民族的自殺へと進むことを放棄させるための威圧力として、最終決断として人類への使用が採択されたのではないかと思っています。

お互いの文明の不理解、そして、利害の対立が、さらなる大きな不幸を生んでゆくものだと思います。

広島・長崎で直撃された方々は、ガスになって蒸発しました。

死に切れなかった人々は、生き地獄のなかを彷徨しました。

前述したように、その技術の使用の是非については、様々な主張があり、おそらくアメリカが謝罪することなど永遠にあり得ないことでありましょう。

しかしながら、生きている人間の頭上に核を炸裂させた事実は事実として、また永遠に消すことはできないカルマとして、その責めは、神に対して彼らが負ってゆかなければならないものだと思います。

そして、その“覚悟”は当然のことながら、当時の為政者は認識していたであろうと思います。

すべてを認識したうえで、彼らは原爆使用に踏み切った。

判断を下すというその重責から逃げずに、そのリスクを受けて立ったということに関しては、私は敬意を表したいと思います。


今の日本の総理であった菅直人のような人間に、そんな自覚があったでしょうか?

本来総理が負うべきすべての責任に対して、詭弁を使って逃げ回り、自分の部下である担当部署に判断責任を押し付け、恥ずかしげもなく「その決定を了とする」なんて言ってのけて、それがリーダーとしての責任の取り方であるとその身をもって国民に示した。

職責を果たさずとも、その地位にしがみつき、嘘と詭弁で固めて自らは退かないというような情けない姿をさらした。

アメリカの大統領は、24時間片時も離れずに核ミサイルの発射スイッチと共に行動するという“人類に対する重責”を背負って行動しています。

そして、これらの第一原因となる科学者においても、同じような責任の認識と覚悟はあったと見るべきでしょう。

科学技術がもたらす社会的影響、そのすべての重責を担うこと。

破壊兵器として使われた際には、数多くの命が失われること。

しかし、そのリスクと責務を引き受けて、さらなる人類文明の進化を目指すこと。

こういったことを認識してこそ、一流の科学者であるということでありますね。

彼は英雄であると共に、ひとりの求道者でもある。

アインシュタインの姿から、そういった姿勢を学びたいと思います。
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青の錬金術師

Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

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1962年生まれの薬剤師です。

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