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Ⅵ、半主権国家から、主体性のある世界国家としての新しき日本への再生 (後半)

しかし、私たち日本人及び日本の国は、アメリカを抜き去ることはできませんでした。
その理由は、何なのでしょうか?

それは、

「アメリカを抜いた後はどうすればよいのか?」

「すなわち、どのようなビジョンをもって、どのような世界に対峙し、あるいは国家として歩を進めてゆけば良いのか?」

「アメリカを抜き去った後に、どのように国家としての意思形成をすれば良いのか?」

「これだけ多種多様な価値観を持って、また血で血を洗う争いさえ絶えない世界各国の実情に対して、日本人としてどのような指導理念を指し示せばよいのか?」

そういったことが分からずに、躊躇と戸惑い、後退と委縮、規制強化と縮小への道を選び取る中において、バブルは崩壊し、株などの証券や土地に流れ込んでいた富が泡の如く消え去ってしまったというわけであります。

アメリカの後追いを脱し、世界国家日本として、すなわち「新しきワールドビジョン・クリエーター」として立たなければならなくなり、また世界からそれを要請された時、日本のリーダ層は“怖気づいてしまった”ということなのでしょう。
ビビってしまったということです。

「そもそも、そんな立場に立ちたいとなど思ったこともない」

「そんなやっかいなことは抜きにして、とりあえず金さえ儲かっていればいいんだ」

「そのためには、争いを避け、和を以て尊しとしていればいいんだ」

「そう、お互いに無理を押し通すことは程々にして、あいまいなまま、ファジーな中にお互いの立場をうやむやにしてしまうことで、角を立てず波風を立てずに無難に収まりをつける。それが日本人であり、日本的に求められる大人の立場なのだ」

「だから、そのような思想や知識は、あいにくではあるけれどもまったく持ち合わせていない」

「繰り返すが、それが、私たち日本人であり、それが日本的であるということなんだ」

それが、日本の唯一の主張ではなかったのかな?と思います。
それで、アラブの人々や強権に走りがちなアメリカを説得できると思えるでしょうか?

世界の人々の要求は違ったものでありました。

「戦後の荒廃からこれだけ驚異的な復興を遂げ、さらなる発展を目指そうとできる日本には、きっとそれを支えた精神性というものがあるだろう。それを世界に示して欲しい」

それは、アメリカの後追いを脱却し、自分で自分の道を開き、それのみならず、地球文明としての進むべき進路にまで責任を負って提示してゆかなければならない立場に引き上げられようとしていたということなんです。
それが、アメリカの強権的指導に嫌気をさしている世界の諸国の願いでもあったということなのです。

しかしながら、そのための準備ができないままに世界第一の経済大国になってしまった。

その大役を担えるだけの見識をもった国民。
それを見事に受けて立つ気概と実力をもった指導者層の育成。
それらを確立し得ていなかったということでしょうね。

それが、我が国に今までにもってして、何度も何度も繰り返し襲いくる世界的不況、沈滞、停滞の大きな原因となってきていると思われるのです。

ともあれ、自らの国防を考えずに、自分の国の主権と領土と国民を自分たちの手で守ることなく経済成長に特化して国富を増大する。
そう、流血を見るようなきつくて汚い防衛戦略や実力行使などは、すべてアメリカ合衆国に依存し、すべて丸投げして、自分たちは金儲けのみに突っ走る。
これから後も、本当にそれで通ると本気で思っているのでしょうか?
もしそうなら、それは単なる甘えであるし、あまりの情けなさに国家としての滅びがあったとしても、それは正当であると判定されてしまうのではないでしょうか?

今後、おそらく今までの戻しという力が必ず働いてくることだと思います。

日本はアメリカの軍事的パワーに、あまりにも依存し続けて来たのです。
自分の国、ひいては自分たちが所属する世界の平和。
それに、もっと積極的に関与し、主体的にになってゆこうではないか!

そういった問いかけが、大きくクローズアップされてくる時代に入ったということだと思います。

前章で述べたように、日本国憲法の前文、そして憲法9条は、経済に特化した戦後の経済的復興には大きな働きをなしたのかも知れませんが、それは同時に、大きな弊害をも生み出したうのです。
軍事さえまともに扱えない政治家の群れを政府の中に生じさせ、国民の中に「非武装平和論国家が成立するかもしれない」という集団幻想を生み出すまでに至ってしまったのです。
軍事力や戦争を完全放棄しても、国家の三要素である、領土、国民、主権を守れる政府があり得るのではないか?
そう、憲法9条の力によって、非暴力を訴えることによって、その教えを至宝とすることによって、もしかするとそれが実現できるのではないか?

そういった現実無視の幻想に対してすら、何ら疑問を抱くこともない国民。
そして、それに迎合するかのごとく、正論を説く人材を更迭し、それに何ら恥ずかしささえ感じることのない政治家たち。
そして、失言のみをあげつらう無責任なマスコミの群れ。

このような惨状を生み出してしまうに至ったということなのです。

しかし、現実は、それほど甘くありません。
「戦争はもう嫌で、お金儲けだけをしていたい」
「命は地球より重い、ひとりの命を守るためになら、国家の主権さえ犠牲になるもやむなし」
「そう、弱者や劣るものへの優しさこそが至宝の徳であり、人はもたれあってこそ生きられる。非武力、戦力不保持をモットーとしている天然記念物は、何を差し置いても守られなければならない」

このような情けない意見が、いつまで通用するのか?ということであります。

 まず、人は強くなければなりません。
強いとは、自らの足でしっかりと大地に立ち、そして自らの言動に責任を持てる人々の群れでなくてはならないということです。

そのような自立的な人々が、努力によって創り上げたその“強みと成果”を最大限に生かしながら、必然的に生ずる対立を努力によって克服し協調してゆくことで、個人や心情を超えた大いなる大調和が実現されてゆくのです。
そうあってこそ、真に国家は繁栄し、人々の幸福が倍増される。
そういうことなのではないかと思います。
弱者連合では、真の幸福は成立し得ないということです。

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青の錬金術師

Author:青の錬金術師
ご訪問くださり、まことにありがとうございます。
このブログでは、幸福の科学の信者として、エル・カンターレ文明建設に資するべく、様々な新しい視点や発見などを提供してゆきたいと考えています。
私といたしましては、科学と宗教を融合してゆくユニークなサイトにしたいと志しています。

御愛好のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
1962年生まれの薬剤師です。

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